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アユタヤ日本人村へ行ってきた|バンコクから鉄道で行く77歳の一人旅

こんにちは、クマ爺です。

私は77歳になっても、LCCを利用して海外一人旅を続けています。

2024年11月14日、タイのアユタヤにある「アユタヤ日本人村」を実際に訪れました。

タイのアユタヤに、かつて多くの日本人が暮らしていたことをご存じでしょうか。

私も今回訪れるまで、ここまで日本とタイに深いつながりがあったことを知りませんでした。

この記事では、バンコクからアユタヤまで鉄道で移動した方法、宿泊したホテル、日本人村までの移動、そして実際に日本人村を訪れて感じたことを紹介します。

クマ爺
クマ爺

77歳の私でも、鉄道と自転車を使ってアユタヤ日本人村まで行くことができました。

アユタヤ日本人村とは?

アユタヤ日本人村は、タイの古都アユタヤに残る、かつて日本人が暮らしていた場所です。

16世紀末から17世紀初頭にかけて、日本と東南アジアの間では朱印船貿易が盛んに行われていました。

そのころ、アユタヤにも多くの日本人が移り住み、日本人町が形成されました。

一時期には、1000人以上の日本人が暮らしていたともいわれています。

現在は「日本人村跡」として整備され、当時の歴史を紹介する展示や記念碑、日本庭園などを見ることができます。

バンコクからアユタヤへ鉄道で向かう

この日はバンコクのアソーク周辺に宿泊していました。

翌日、MRTスクンビット駅からバンスー駅へ向かいました。

バンコク路線図です。(タイ一択より引用)

MRTバンスー駅の出入口です。

バンスー駅で下車すると、タイ国鉄の駅が近くにあります。

ここからアユタヤ駅まで鉄道で向かいます。

私はできるだけ旅費を抑えたいので、普通列車を利用しました。

バンスー駅からアユタヤ駅へ

バンスー駅からアユタヤまでは、列車によって所要時間が異なります。

列車の種類や料金は時期によって変わるため、旅行する際は最新の時刻・料金を確認してください。

私が利用した普通列車の料金は、

20バーツ(2024年11月当時)

でした。

日本円にすると約90円。

とにかく安い!

クマ爺
クマ爺

これぞ私が好きなタイの鉄道旅。
安い料金で、車窓を眺めながらゆっくり移動できます。

列車に揺られながら、アユタヤへ向かいます。

そして、アユタヤ駅に到着しました。

アユタヤ駅から宿泊先へ

アユタヤ駅から、この日の宿泊先へはトゥクトゥクを利用しました。

この日の宿泊先は、

Zleepinezz Hostel

です。

4人1室の部屋でしたが、この日は私を含めて2人。

私は下段のベッドを確保できました。

宿泊料金は、

1泊1,397円・朝食付き。

タイは本当に安いですね。

自転車を借りてアユタヤ日本人村へ

チェックインを済ませた後、宿泊施設で自転車を借りました。

料金は、

1日50バーツ(2024年11月当時)

でした。

日本円にすると約225円です。

この自転車で、いよいよアユタヤ日本人村へ向かいます。

ところが、ここで少し失敗しました。

Googleマップで自転車ルートが利用できなかったため、私は徒歩ルートを選択しました。

その結果、かなり遠回りになってしまいました。

自転車なら、自動車ルートを利用した方が良かったと思います。

クマ爺
クマ爺

Googleマップで自転車ルートが出ないときは、徒歩ルートをそのまま利用するのではなく、道路状況を確認した方がいいですね。

77歳の私には、遠回りはちょっと堪えました。

アユタヤ日本人村に到着

そして、ようやくアユタヤ日本人村に到着しました。

入口に立ったとき、

「ここに、昔たくさんの日本人が暮らしていたのか」

と思うと、不思議な気持ちになりました。

今から何百年も前に、日本から遠く離れたタイで生活していた日本人がいたのです。

なぜ、アユタヤに日本人村があったの?

日本人村を歩いていて、私はふと思いました。

「なぜ日本人は、こんな遠いアユタヤに集まって暮らしていたのだろう?」

その理由を知ると、アユタヤ日本人村がここに形成されたことがよく分かります。

当時のアユタヤは、東南アジアを代表する国際貿易都市として栄えていました。

そして、日本人村があった場所は、チャオプラヤー川沿いです。

当時、船は人や商品を運ぶための重要な交通手段でした。

そのため、川沿いは貿易をする商人にとって、とても便利な場所だったのです。

日本から来た商人たちも、貿易を求めてアユタヤに渡ってきました。

そして、日本人が次第に増えていくにつれて、日本人が集まって暮らすコミュニティが形成されていったと考えられています。

16世紀末から17世紀初頭にかけては、日本と東南アジアの間で朱印船貿易が盛んに行われていました。

日本の商人たちは、東南アジア各地へ船で渡り、アユタヤにも多くの日本人が暮らすようになりました。

一時期には、1,000人以上の日本人が暮らしていたともいわれています。

クマ爺
クマ爺

1,000人以上の日本人が、400年近く前のアユタヤで暮らしていたとは驚きです。

現在の日本から考えると、当時のアユタヤにこれほど大きな日本人コミュニティが存在していたことは、なかなか想像できません。

しかし、「貿易」という目的で人が集まり、川を利用して商品を運ぶ。

そう考えると、チャオプラヤー川沿いに日本人村が形成された理由が見えてきます。

私は実際にこの場所を歩いてみて、単なる観光地ではなく、日本とタイの長い交流の歴史が残る場所なのだと感じました。

山田長政

アユタヤ日本人村を語るうえで欠かせない人物が、

山田長政です。

山田長政像です。

山田長政は日本人町の有力者として知られ、アユタヤ王朝で軍事などにも関わり、高い地位を得た人物です。

館内には山田長政に関する展示もあります。

実際に展示を見ていると、遠い昔に日本人がタイで活躍していたことを、より身近に感じることができました。

日本人村に残る日本とのつながり

施設内には、当時の日本人村に関する資料や展示があります。

そして、日本庭園も整備されています。

タイにある日本庭園を歩いていると、少し不思議な感覚になります。

遠く離れたタイの地で、日本を感じることができました。

山田長政神社も訪ねました

敷地内には、山田長政に関係する場所もあります。

実際に現地を歩いてみると、単なる観光地というより、

「昔、日本人がこの場所で暮らしていた」

という歴史を感じる場所でした。

77歳、アユタヤ日本人村を訪れて感じたこと

今回、アユタヤ日本人村を訪れて一番印象に残ったのは、

日本人が何百年も前から、この遠いタイの地で生活していたという事実です。

私はこれまで海外を一人で旅してきました。

それでも、今回のアユタヤ日本人村では、いつもの観光とは少し違った感覚を覚えました。

昔の日本人も、私たちと同じように船に乗り、遠い外国へ渡り、そこで生活していたのです。

山田長政の展示を見ながら、

「昔の日本人は、本当にたくましかったんだな」

と感じました。

静かな庭園を歩いていると、何百年も前にここで暮らしていた日本人たちの姿を想像してしまいます。

アユタヤ日本人村へ行ってみて

今回の旅では、バンコクから鉄道でアユタヤへ移動し、宿泊施設で自転車を借りて日本人村まで行きました。

途中で道を間違えて遠回りするという失敗もありました。

しかし、それも一人旅の思い出です。

そして何より、

77歳の私が、実際にこの場所まで来ることができたことを嬉しく思います。

アユタヤには有名な遺跡がたくさんあります。

しかし、もし時間があれば、ぜひアユタヤ日本人村にも足を運んでみてください。

「タイと日本には、こんなに長い歴史的なつながりがあったのか」

と、きっと感じることができると思います。

まとめ

今回のアユタヤ日本人村への旅で、私が感じたことをまとめます。

  • バンコクから鉄道でアユタヤへ行ける
  • 普通列車ならリーズナブルに移動できる
  • アユタヤ駅からはトゥクトゥクなどを利用できる
  • 宿泊施設で自転車を借りて日本人村へ向かうこともできる
  • 日本人村では日本とタイの歴史的なつながりを知ることができる
  • 山田長政に関する展示も見ることができる

そして私は、

海外旅行は、実際にその場所へ行ってみなければ分からないことがたくさんある

と改めて感じました。

77歳の私でも、まだまだ知らない世界があります。

これからもLCCを利用して、できるだけ安く、そして自分の足で海外を歩いてみたいと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

クマ爺でした。

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