今回は、フィリピンの歴史ある島、コレヒドール島への旅行体験です。この島は第二次世界大戦の重要な戦場であり、その歴史的な背景が非常に興味深いです。私は2013年の5月にこの島を訪れました。
コレヒドール島の位置
コレヒドール島は、フィリピンのルソン島の西部、マニラ湾の入り口に位置しています。マニラ湾を防衛するための戦略的な要所として歴史的に重要な役割を果たしてきました。マニラから約48キロメートルの距離にあります。
コレヒドール島へのアクセス
出発地はマニラ。朝早く起きて、マニラ湾からフェリーに乗り、コレヒドール島へ向かいました。フェリーのチケットは事前にオンラインで予約。片道約1時間半の船旅でした。
事前予約: フェリーやツアーは事前に予約することをおすすめします。
コレヒドール島の歴史
第二次世界大戦とコレヒドール島
コレヒドール島は、第二次世界大戦中にフィリピンの防衛拠点として重要な役割を果たしました。1942年、日本軍がフィリピンを侵攻した際、アメリカ軍とフィリピン軍はこの島で激しい戦闘を繰り広げました。特に、マリンタ・トンネルは防空壕や弾薬庫として使われ、多くの兵士が避難していました。1945年にアメリカ軍が再び島を奪還するまで、コレヒドール島は戦略的要所として戦争の歴史に深く刻まれました。
島は細長く、「タドポール(オタマジャクシ)」の形に例えられることがあります。面積は約5平方キロメートルです。
現在のコレヒドール島
現在、コレヒドール島は歴史的な観光地として多くの訪問者を迎えています。戦争の遺構や記念碑が残されており、訪れる人々に戦争の悲劇と平和の重要性を伝えています。
歴史の息吹を感じる観光スポット
マリンタ・トンネル
概要と歴史
- 建設: マリンタ・トンネルは、1922年から1932年にかけてアメリカ軍工兵隊によって建設されました。トンネルの目的は、軍需物資の貯蔵および戦時中の避難所としての利用でした。
- 構造: トンネルの全長は約253メートルで、メインのトンネルに加え、多数の支線トンネルがあります。メインのトンネルは、全長8.2メートル、幅5.5メートル、高さ5メートルの大きさです。
- 使用: 第二次世界大戦中、病院、倉庫、司令部、宿泊施設は日本軍の攻撃からの防御として利用されました。1942年には、日本軍の侵攻を逃れて、多数の兵士と民間人がここへ避難しました。
トンネルの役割
- 司令部: アメリカのダグラス・マッカーサー将軍とフィリピンのマヌエル・L・ケソン大統領がここを司令部として使用しました。彼らはここから戦略を指揮し、防衛計画を立てました。
- 病院: トンネル内には病院設備があり、戦闘で負傷した兵士たちの治療が行われました。医療設備は限られていましたが、多くの負傷者がここで治療を受けました。
- 避難所: 爆撃や砲撃から避難するための安全な場所として、多くの兵士や民間人がトンネル内に避難しました。
戦後と現在
- 戦後の利用: 第二次世界大戦終了後、トンネルは一時的に放棄されましたが、その後修復され、歴史的な観光名所として再開されました。
- 観光名所: 現在、マリンタ・トンネルは観光客に開放されており、ガイドツアーが行われています。ツアーでは、トンネルの歴史や戦時中の生活について学ぶことができます。
- ライト&サウンド・ショー: トンネル内では、第二次世界大戦の出来事を再現した「ライト&サウンド・ショー」が開催されています。このショーは、歴史的な出来事を視覚的および聴覚的に体験できるもので、多くの観光客に人気です。
見どころ
- ホスピタル・セクション: 実際に病院として使用されていたエリア。医療設備のレプリカや説明パネルがあります。
- 司令部エリア: マッカーサー将軍やケソン大統領が使用したとされる部屋やオフィスが再現されています。
- ライト&サウンド・ショー: 戦時中の出来事を再現したショーが行われ、歴史を体感できます。
パシフィック・ウォー・メモリアル
コレヒドール島にあるパシフィック・ウォー・メモリアル(Pacific War Memorial)は、太平洋戦争中に命を落とした兵士たちを追悼するために建てられた記念碑です。この記念施設は、戦争の悲惨さを忘れず、平和の重要性を後世に伝えるための場所として設計されています。
概要
- 場所: コレヒドール島のトップサイド(島の高台)に位置しています。ここからはマニラ湾や島の美しい景観を一望できます。
- 設立年: 1968年に完成しました。
- 目的: 太平洋戦争で命を捧げた全ての兵士たちを追悼し、平和の重要性を訴えることを目的としています。
主な施設と見どころ
- 記念ホール: メインの記念ホールには、中央に円形の記念碑があり、その上部には開口部があります。この開口部は、「陽光の窓」として知られており、毎年5月6日の午前9時30分に、太陽の光が正確に記念碑の中心を照らすように設計されています。これは、1942年5月6日にコレヒドール島が日本軍に降伏した時間を象徴しています。
- 永遠の炎: 記念ホールの近くには、「永遠の炎」と呼ばれる大きな金属製の彫刻が設置されています。この炎は、終わりのない平和への願いを象徴しています。
- 記念壁: 記念ホールの壁には、太平洋戦争中に戦った部隊や戦闘の名称が刻まれています。また、戦争中に犠牲になった人々の名前も記されています。
- 博物館: 記念ホールの近くには小さな博物館があり、太平洋戦争に関連する写真、文書、遺物などが展示されています。訪問者は、ここで戦争の歴史や兵士たちの物語を学ぶことができます。
パシフィック・ウォー・メモリアルは、コレヒドール島の歴史と平和への願いを象徴する重要な施設です。ここを訪れることで、戦争の犠牲者に敬意を表し、平和の価値を再認識することができます。
崩れた建物と遺跡
コレヒドール島には、第二次世界大戦中の激しい戦闘の名残として、多くの崩れた建物や遺跡が点在しています。これらの建物は、戦争の悲惨さを物語る重要な歴史的遺産となっています。以下に、主な崩れた建物について紹介します。
- トップサイド兵舎
- かつてのアメリカ軍の兵舎跡。現在は廃墟となっており、戦争の爪痕が残る建物です。
- バラッグ・クラドック
- アメリカ陸軍の兵舎で、世界最大の兵舎とされていました。日本軍の爆撃で壊滅的な被害を受け、現在はその廃墟が残っています。
- シンシア・ホスピタル
- 戦争中に多くの負傷者が治療を受けた病院。爆撃で破壊され、その廃墟が戦争の悲惨さを今に伝えています。
- ミドルサイド兵舎
- 中部に位置する兵舎跡。こちらも戦闘による被害を受け、現在は廃墟となっています。
- バッテリー・ウェイ
- コレヒドール島にある複数の砲台の一つで、戦争中に重要な役割を果たしました。現在はその廃墟が見学可能です。
- トップサイド司令部
- かつてのアメリカ軍の司令部建物。激しい戦闘で破壊され、その廃墟が今も残っています。
まとめ
コレヒドール島の廃墟は、戦争の悲惨さとその影響を伝える重要な歴史的遺産です。崩れた建物は、訪れる人々に戦争の現実を目の当たりにさせ、平和の重要性を再認識させます。これらの遺跡は、教育面でも貴重な教材として、歴史教育や観光ガイドツアーで活用され、フィリピンの歴史や第二次世界大戦の影響を学ぶ場となっています。また、観光名所としても多くの人々を引きつけ、訪問者はその歴史を肌で感じる機会を得ています。コレヒドール島の遺跡を訪れることで、戦争の悲劇と平和の大切さをより深く理解できるでしょう。